吉祥寺・BASARA BOOKSに小島信夫大量入荷。売価不明。
写真を見るかぎり、「寓話」は復刻版(プロジェクトK)のようだ。
ある新参ファンのこじのぶ読書クロニクル
吉祥寺・BASARA BOOKSに小島信夫大量入荷。売価不明。
写真を見るかぎり、「寓話」は復刻版(プロジェクトK)のようだ。
最高傑作かどうかはもちろん読む人それぞれが決めることであるが、死ぬまでペースを落とすことなく旺盛な作家活動を続け、いわゆる「余生」など皆無だった作家ゆえ、遺作となったこの小説が文字通り小島文学の「到達点」であるという見方は間違いではないだろう。
今回の「残光」文庫化は快挙といっていいと思うし、講談社文芸文庫よりも気軽に手にとることができる新潮文庫のラインナップに加わったことは、小島信夫の一読者として素直に嬉しく思うのだが、ささやかな不安がないといえばウソになる。起承転結整理整頓品行方正な現代小説に読み慣れた読書は、冒頭の2~3ページを読んだだけで、レトリックの破綻&メタメタな暴走っぷりに「なんだこりゃ?」とそれ以上ページを繰ることをやめてしまうかもしれない。たとえば30ページのこの箇所。
あるいは218ページのこの箇所。
該当箇所を書き写しながら再読している僕も正直いってわけがわからない。ゴツゴツして読みにくく、頭にすんなり入ってこないこれらのレトリックは小島信夫ファンにとっては当たり前のお約束であるが、初めて小島信夫に触れる読者にとっては「残光」はハードルが高いようにも思う。誤解しないでほしいのだが、僕は小島信夫を読む人の特権性についてあれこれ言っているのではない。小説というものは誰に対しても常に開かれたものであり、どんな読者をも拒むことはないということは承知の上で、あえて彼の作品を楽しむためには、読み方の「コツ」とある程度の「慣れ」が必要である断言するのだ。
池袋駅構内は、JR線・地下鉄各線・西武線・東武線それぞれの利用者の動線が全く定まっておらず、制御不能の無秩序状態である。誰もが異口同音に歩きにくいと言う。しかしそれはつまるところ「コツ」と「慣れ」の問題なのだ、と池袋駅利用歴14年の僕は思う。あるときは強行に人々の流れに逆らい、またあるときは流されるまま流されてみる・・・。小島信夫の文学は決して「右側通行にご協力下さい」というタイプのものではないのである。
足下がおぼつかなくなり自宅近くで転倒して頭が血だらけになった作者が、助けに来た娘さんに抱きかかえられながら唐突に“小島信夫文学賞の審査員に「大庭さん」や「保坂さん」を推挙する”と話す場面が第一章にある。頭部を強打したことが原因のうわごとなのかと思いきや、小島信夫は“娘には私が何をいっているのか全く分からないということは知っていながら”発言しているのだ。ある種の深刻さの中に突如として挿入される滑稽さ。その構図は、風呂で倒れて意識不明になった平山草太郎が倒れながらも絵筆を中空に走らせていたという「美濃」の一場面を想起させる。
第二章は、保坂和志氏とのトークイベントをきっかけとした過去作品の「読み直し」作業が中心となる。その中でも大きくページは割かれていなかったが、短篇「天南星」についての作者の発言が印象に残った。「この小説は気に入る方にぜんぜん入っていなかった。ところが、読んでいるうちにこれはたいへん魅力的な作品であるような気がして、どうして今そういう気がしてきたのか、考えてもよく分らない」。そこで僕は講談社文芸文庫「小島信夫後期作品集」を久しぶりに本棚から抜き取り、後ろの方に収録されている「天南星」を読み返してみたが、これはズバリ面白い小説であった。ちなみに「小島信夫後期作品集」は“自選”短篇集である。
第三章もしばらくは「読み直し」が続くが、程なく訪れるラストシーンで、「仏像のように何もかも動かな」い愛子さんを前に作者は落涙する。小島作品には主人公が泣く場面はそれほど多くないように思う。決して主人公が無感情というわけではないが、どこか主人公が自分自身を客体化しているような視線が常にあり、作者は安易に涙を流させることをしないのである。だからこそ、「残光」や「うるわしき日々」で見られる涙はあまりにも哀切で、重い。
あとがきでは「ぼくは出版社からまとまった長さの作品を約束させられた。ぼくは今を乗りきるために約束の小説をはじめるよりほかになかった。もはや妻には直接、手をさしのべることはないのだから」と述べる。長い作家生活の末に到達した境地、また小島信夫という難問に対する作者からの回答が、このセンテンスに集約されているのではないだろうか。
蛇足だが、文庫版解説はY・Tこと山崎勉氏が担当された。僕の予想は大ハズレであった。
少しずつ読み進めていたものの、中盤から終盤にかけてすっかり集中力を失い、しばらく放置していた本書であるが、えいやっと残りわずかのページを一息に読み通し、ようやく読了。ものすごい疲労感。収録内容は以下のとおり。
::イプセンとチェホフ
::オニール、ミラー、ウィリアムズ
::カフカ、ドストエフスキー、「リア王」
::アリョーシン「恋愛論」
::横浜ボート・シアター「小栗判官・照手姫」
::カントール「死の教室」
::小栗判官伝説と「浅茅が宿」
::蜷川幸雄演出「オイディプス王」
::ヴィゴツキーの「ハムレット」論
::パロディとしての「ハムレット」
::「ペリクリーズ」
::「ハムレット」1~9
その他、松本和也氏によるあとがき、近藤耕人氏と青木健氏が執筆した別冊附録も挟み込まれている。「演劇」という芸術形態を透過させた向こう側にある「小説」についての考察には興味深い部分もあるのだが、そもそも僕は演劇について造詣が深くないし、小島信夫の戯曲「一寸さきは闇」を読んでから、やはり「小説家」小島信夫以外への興味を失ってしまっているようである。
今日の読売新聞朝刊に、好きな作家アンケートが掲載されていた。
どうやら3年に1度実施しているらしいのだが、色々な意味ですごいランキングに。
小島信夫は何位なんだろう。高橋源一郎は何位なんだろう。
車谷長吉は何位なんだろう。江戸川乱歩は何位なんだろう。
森敦は何位なんだろう。カフカは何位なんだろう。圏外万歳。
傑作の誉れ高き「美濃」が、まさかまさかの文庫化。
http://www.bk1.jp/product/03172708
講談社文芸文庫。1,785円。発売は11月です。
同月には新潮文庫から「残光」も出ます。11月はコジノブ祭り!
ひょっとしてこれは確変入ってしまったのかもしれません。
管理人による「美濃」つれづれ感想文はこちら。
まさかの文庫化。
http://www.bk1.jp/product/03163615
新潮文庫。460円。発売は10月(※11月に変更になった模様→新潮社)
文庫版の楽しみのひとつはやはり解説に尽きるのではないだろうか。
そこで、今回の執筆者を勝手に予想してみる(◎本命 ○対抗 ×大穴)
+ + + + +
◎保坂和志
小島信夫との親交は言わずと知れたところ。
「残光」の作中にも登場するキーパーソン。やはり本命か。
○坪内祐三
名著「『別れる理由』が気になって」の著者。
講談社文芸文庫「対談 文学と人生」の解説を書いた実績もあり、有力。
○磯崎憲一郎
先日の芥川賞受賞スピーチで小島信夫への敬愛を表明。
知名度的にはやや不安もあるが話題性は十分。有力対抗候補。
○堀江敏幸
同郷・岐阜つながり。小島文学賞選考委員も務める。
昨年、岐阜県図書館で開催された小島信夫展にて講演。
×茂木健一郎
脳科学者。小島信夫フリークとしても有名である。
「残光」単行本発売時の書評あり。文庫版での再指名はあるか。大穴。
×ノジマコブオ
当ブログ「小島信夫が気になって」管理人。
本当に「小島信夫が気になって」いるだけの一般人。大穴中の大穴。
■第1章 対話篇I
::小島信夫と読書の来歴
■第2章 千石英世
::小島信夫ふたたび
::私であることのはじまり-----「墓碑銘」
::死ぬと云うことは偉大なことなので-----追悼・小島信夫
::小島信夫の小説と小説観-----三島由紀夫との比較を通して
■第3章 対話篇II
::小島信夫をどう読むか?
■第4章 中村邦生
::小島信夫的なるもの
::小島信夫を引用すること
::小島信夫の<小島信夫的>な愉楽-----それにしても、それだけだろうか
::「『別れる理由』が気になって」が気になって
::小島信夫による小島信夫の再発見-----「残光」を読む
::困難さを信じること-----追悼・小島信夫
::久しぶりにお便りを-----「書簡文学論」への覚え書き
■第5章 対話篇III
::小島信夫の新たな光源
■第6章 小島信夫との対話
::小島信夫×千石英世 小島文学に見る小説空間
::小島信夫×中村邦生 漱石文学と<家族>
+ + + + +
坪内祐三氏の語り口と比べると、もっと硬質な、いかにも「ザ・評論」といった印象の本書であるが、決して難解なわけではない。第6章の蔵出し対談は貴重だが、やはり噛み合っているのか噛み合っていないのかわからぬ酩酊の味わい。小島信夫を「あとがき作家」と捉えた箇所はとびきり面白かった。
筑摩書房の「現代日本文学大系」が限定復刊される。セット価格は税込611,100円。単品販売もあるが、純文学フリークとしてはやはり全巻セットで欲しい。だがしかし。欲しいけど高すぎる。高すぎるし置き場所がない。置き場所がないし読む時間がない。
小島信夫の作品は第90巻「島尾敏雄 小島信夫 安岡章太郎 吉行淳之介集」に収められている。以前ブックオフで購入した初版本を確認すると、収録作は「小銃」「吃音学院」「殉教」「馬」「アメリカン・スクール」「十字街頭」「返照」の7編。このうち、現在流通している講談社文芸文庫と新潮文庫を併せても読むことのできないものは、「十字街頭」と「返照」の2編である。
今年6月5日に読み終え、もう一度じっくり読みはじめ、7月16日に2回目の読了。いまだソース元となる「別れる理由」を通読していない僕が、この種の作品論に目を通してしまうことついては多少なりとも複雑な気持ちがあった。ネタバレは回避できない。本来ならば「別れる理由」を通読してから読むのが正しい道筋ではないだろうか。そういったすっきりとしない心持ちを抱えつつ読み進めることになったのだが、この画期的な評論はいわゆる「虎の巻」でも「副読本」でもなく、さながら20年後の続刊「別れる理由IV」のように僕には感じられた。江藤淳の「自由と禁忌」によって、この大長篇小説をコンパクトに知る手がかりを与えられ、同時に「読む必要のない小説」であるという先入観を植え付けられてしまったと、著者である坪内祐三氏は述懐する。僕はまさに「『別れる理由』が気になって」によって、この化物小説をコンパクトに知ることができた。そして、原典を読んでいない読者には「答え合わせ」の楽しみが残されている。
坪内氏は講談社文芸文庫で小島信夫の著作を購入し、図書館にも行く。「正直に言おう。私は小島信夫のさほど熱心な読者ではなかった」と早々にカミングアウトする。彼は高名な「評論家」であるが、それ以前に僕たちと同じ「読者」であった。それにしても氏のような「読者」に読まれ愛される作品は幸福であるし、小島信夫も作者冥利に尽きるのではないだろうか。しかし「別れる理由」が不幸だったのは、リアルタイムの物語でありながらリアルタイムで批評されなかったことにあると分析する。あの江藤淳ですら連載中は「別れる理由」をスルーしており、単行本化された段階で初めて通読したらしい。坪内氏は江藤淳の鋭い文学的感性を認めながらも、きちんと「読まれていない」箇所については、容赦なく異議を唱えていく。
また、完結までに長い時間がかかった作品の一例として志賀直哉の名作「暗夜行路」を挙げ、「別れる理由」との違いを解説する場面が印象的であった。「暗夜行路」は一種の教養小説であり、小説世界の時間と執筆に費やされた現実の時間はお互い影響することはないという。それに対して「別れる理由」については「リアルタイムに近い時制で物語が展開して行く(小説世界が動いて行く)『別れる理由』は、その外部世界の時の経過の影響を受けながら、小説が、中途からはその定型を越えて、増殖して行く。いや、停滞して行く」と述べている。この「暗夜行路」との対比は実に有効で、明瞭かつ雄弁に「別れる理由」の本質を言い当てている。さらに「増殖して行く。いや、停滞して行く」という微妙にねじれたセンテンスも興味深い表現だ。
僕は小島信夫の小説を読んでいると、しばしば誰の発話か把握できなくなることがある。坪内氏は錯綜する言葉から主体を丁寧に読み解き、僕たちにわかりやすく説明してくれる。さらに、長大な物語のハイライトと併せて「難所」をしっかり教えてくれる。主人公の「夢くさい」世界が始まる第59章以降、登場人物が他者へと変容を繰り返しながら会話を続ける第60章以降と、第93章から第115章までが、通読を試みるたいていの読者が置いてきぼりになる難所とのこと。ただ目で文字を追うだけになりそうなそれらの箇所を精読し、解釈を加えて論じることは、並々ならぬパワーが必要だったはずだ。事実、ときおり連載を続けることが難儀であることを吐露する場面もある。しかしそれでも彼が連載をやめなかったのは、小島信夫が2003年1月に発表された短編「青ミドロ」内で、「『別れる理由』が気になって」について言及した一件が大きく影響しているようだ。「私は坪内さんが待ち遠しい、という思いもあります」と小島信夫に言われてしまったら、それはもう中絶するわけにはいかない。それにしても、「『別れる理由』が気になって」連載中のリアルタイムな時制にまで"小島信夫"が参入してくるとは、なんとメタ的な評論だろう。
ふと思い出したのだが、高橋源一郎は著書「文学なんかこわくない」の中で、「小説を論じるためには、元の小説の少なくとも二倍、概ね三倍以上の原稿量を必要とする」と書いていた。その驚くべき内訳は「元の小説+感想+もうひとつの小説」=「元の小説×3」。これが、小説の評論の唯一の「正しい」あり方なのだと断言し、その方法論を実践した数少ない例として挙げられたのが、小島信夫の「漱石を読む-日本文学の未来」であった。やや長いパラグラフになるが、高橋氏の論を引用する。
よもや「別れる理由」について、高橋源一郎氏の提唱する「×3方式」を実行しようとする人はいないだろう(死んでしまう)。しかし、この「『別れる理由』が気になって」という評論における坪内氏からは、まさにその領域に近づこうという気概が感じられるのである。初出は「群像」2002年5月号、7月号~12月号、2003年4月号~2004年3月号。