集英社から刊行中のアンソロジー「戦争×文学」に小島信夫の2作品が収録される。2011年9月配本の第5巻に「城壁」、11月配本の第13巻に「小銃」。個人的に小島信夫の戦争モノとしては「墓碑銘」が真っ先に思い浮かぶのだが、今回のシリーズは中・短編小説を中心に構成するということらしいので、「墓碑銘」ではややボリュームがありすぎるのだろう。
:: 集英社「戦争×文学」オフィシャルサイト
:: コレクション戦争×文学:戦後世代が21世紀に問う 刊行始まる(毎日新聞)
ある新参ファンのこじのぶ読書クロニクル
集英社から刊行中のアンソロジー「戦争×文学」に小島信夫の2作品が収録される。2011年9月配本の第5巻に「城壁」、11月配本の第13巻に「小銃」。個人的に小島信夫の戦争モノとしては「墓碑銘」が真っ先に思い浮かぶのだが、今回のシリーズは中・短編小説を中心に構成するということらしいので、「墓碑銘」ではややボリュームがありすぎるのだろう。
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:: コレクション戦争×文学:戦後世代が21世紀に問う 刊行始まる(毎日新聞)
「抱擁家族」単行本には帯が2パターン存在することはご存知だろうか。初版が刊行された1965年に同作品は第1回谷崎潤一郎賞を受賞しており、それ以降は受賞記念の帯に差し替えられた。
順調に続刊中。
▽漱石を読む
http://www.suiseisha.net/blog/?p=1504
▽私の作家遍歴I
http://www.suiseisha.net/blog/?p=1592
▽私の作家遍歴II
http://www.suiseisha.net/blog/?p=1642
▽私の作家遍歴III
http://www.suiseisha.net/blog/?p=1666
▽私の作家評伝
http://www.suiseisha.net/blog/?p=1684
▽現代文学の進退
http://www.suiseisha.net/blog/?p=1738
そして「小島信夫批評集成」について、YOMIURI ONLINEの記事も。
http://www.yomiuri.co.jp/book/news/20101124-OYT8T00484.htm
リブロ池袋本店のレジ横にて内容見本を捕獲。年輪を刻んだ渋い表情が印象的な表紙をめくると、編集委員である千石英世・中村邦生・山崎勉の連名で「刊行にあたって」という短い序文がある。さらにリーフレットを観音開きにすると、全8巻の配本月・予価・解説者が一目瞭然。しかし現時点で予価が明記されているのは第1回配本の「漱石を読む」(8,400円)と、第2回「私の作家遍歴I」&第3回「私の作家遍歴II」(共に6,300円)のみ。
そして、全国5万人のコジノブファンが気になるのは「全巻予約申込専用ハガキ」の存在であろう。全巻予約といっても、いわゆる「一括購入」ではなく、配本の都度、書店店頭で購入する形になるようだ(最寄り書店で番線印を押してもらい水声社に郵送)。つまり、「全巻予約ハガキ」というよりも「特典申請ハガキ」といった意味合いが強い。予約者特典は、直筆原稿の複製や単行本未収録のエッセイなどを収載した「小島信夫読本(仮題)」。予約締切は2010年12月末日、特典発送は2011年5月以降とのこと。
僕はこの内容見本を何度も見ては物思いに耽り、ため息混じりにただただ繰り返し眺めている。いったい何を逡巡することがあろう、ファンならば全巻予約して当然ではないか、という思いと、すでに既刊単行本(初版本)を何冊も所持しているのだから、本当の「全集」が刊行される「いつか」を待てばいい、という気持ちが絶え間なく相克している。
■《小島信夫批評集成》全8巻、10月下旬より刊行開始!(blog水声社)
小島信夫の復刊については、もはや水声社と講談社文芸文庫にしか期待できないという悲しい現状ではあるが、以前から一部ファンの間で噂になっていた批評集(全8巻)の刊行が正式に水声社より発表された。「全集」ではなく、あくまで「集成」である。
今月下旬の「漱石を読む」を皮切りに毎月1冊配本とのことだが、いかんせん定価が高く(各4,000円~8,000円)、月イチペースでは継続購入する自信がない。そこで年1冊ずつ自分の誕生日に少しずつ買い揃えていこうと計画している。となれば、なんとコンプリートまで8年かかるわけで、全巻揃える前に絶版になりそうな気がしないでもない。毎月は厳しいが、全巻購読するともらえるらしい「小島信夫読本」(非売品)も欲しい。悩むところだ。
第1巻~第3巻所収の作品は、オリジナル原本の入手が比較的容易である。第4巻~第6巻の「私の作家遍歴」も傑作評論として名高いものだが、個人的に今回の集成のハイライトは、昨今の古書市場においてプレミア化著しい「X氏との対話」(第7巻)と「漱石を読む」(第8巻)であると思っている。
※追記(10/19)
小島信夫の命日10月26日に書店搬入。部数は少ないそうだ。
http://www.suiseisha.net/blog/?p=1504

扶桑社 2010年夏号(No.30) [Amazon]
扶桑社「en-taxi」最新号購入。文庫付録の小島信夫「私の作家評伝」が目当てだが、まずは本誌に軽く目を通しておこうと思い、パラパラ頁をめくる。高橋源一郎の1984年回想記も興味深いが、日常の滑稽さと生命の物悲しさが横溢する杉田成道の小説(最終回)に強く惹かれた。
さて、付録である。付録ではあるが、小島信夫フリークにとってはこちらがメインである。名著「私の作家評伝」からの抜粋。カバーは無い。本誌の福田和也「The day is done ― 小島信夫」が解説の役割も果たしている。近年価格が高騰している小島信夫関連の古書市場でも、「私の作家評伝」はそれほど入手が難しい部類ではない。それにしても抄録されたラインナップは実に渋い。有島武郎、岩野泡鳴、宇野浩二、高浜虚子、近松秋江。渋すぎる。
![私の作家評伝 [付録]](http://kojimanobuo.jpn.org/data/upfile/entaxi_hyoden.jpg)
小島信夫が翻訳を手がけたことでも知られるバーナード・マラマッドの短編集「レンブラントの帽子」が、昨年設立されたばかりの夏葉社という出版社から、5月上旬に出版される。1975年に集英社から刊行されていた同書の復刊らしい。税込1,680円と値段も手頃だ。楽しみに待ちたい。
※追記(4/27) bk1にて予約受付開始
http://www.bk1.jp/product/03270400
※追記(5/23) 毎日新聞朝刊に書評掲載
http://mainichi.jp/enta/book/hondana/news/20100523ddm015070019000c.html
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翻訳といえば、小島信夫の小説は現在どれだけ海外で読まれているのであろう。ふと気になり、Amazonの洋書カテゴリを覗いてみたところ、英語版とドイツ語版の「抱擁家族」を発見した。小島信夫特有のあのギクシャクした文体はどのように訳されているのだろうか。意外とスッキリ読めそうな気もするのだが。

Embracing Family (英語) [Amazon]

Fremde Familie (ドイツ語) [Amazon]

近代文芸社 2009年4月(初版) [Amazon]
出生→出征→出世まで、文学界に小島信夫という巨人が出現するまでの過程がコンパクトにまとめられている。小島信夫にまつわる膨大な出典の数々は坂内氏の文学研究ワークスの深さを示すものだ。また、カフカ研究の大家である氏ゆえ、小島作品におけるカフカからの影響を、わかりやすく具体的に指摘しており、とりわけ「島」について言及するパートは鮮烈の一言。
吉祥寺・BASARA BOOKSに小島信夫大量入荷。売価不明。
写真を見るかぎり、「寓話」は復刻版(プロジェクトK)のようだ。
新潮社 2009年11月(初版) [Amazon]
最高傑作かどうかはもちろん読む人それぞれが決めることであるが、死ぬまでペースを落とすことなく旺盛な作家活動を続け、いわゆる「余生」など皆無だった作家ゆえ、遺作となったこの小説が文字通り小島文学の「到達点」であるという見方は間違いではないだろう。
今回の「残光」文庫化は快挙といっていいと思うし、講談社文芸文庫よりも気軽に手にとることができる新潮文庫のラインナップに加わったことは、小島信夫の一読者として素直に嬉しく思うのだが、ささやかな不安がないといえばウソになる。起承転結整理整頓品行方正な現代小説に読み慣れた読書は、冒頭の2~3ページを読んだだけで、レトリックの破綻&メタメタな暴走っぷりに「なんだこりゃ?」とそれ以上ページを繰ることをやめてしまうかもしれない。たとえば30ページのこの箇所。
あるいは218ページのこの箇所。
該当箇所を書き写しながら再読している僕も正直いってわけがわからない。ゴツゴツして読みにくく、頭にすんなり入ってこないこれらのレトリックは小島信夫ファンにとっては当たり前のお約束であるが、初めて小島信夫に触れる読者にとっては「残光」はハードルが高いようにも思う。誤解しないでほしいのだが、僕は小島信夫を読む人の特権性についてあれこれ言っているのではない。小説というものは誰に対しても常に開かれたものであり、どんな読者をも拒むことはないということは承知の上で、あえて彼の作品を楽しむためには、読み方の「コツ」とある程度の「慣れ」が必要であると断言するのだ。
池袋駅構内は、JR線・地下鉄各線・西武線・東武線それぞれの利用者の動線が全く定まっておらず、制御不能の無秩序状態である。誰もが異口同音に歩きにくいと言う。しかしそれはつまるところ「コツ」と「慣れ」の問題なのだ、と池袋駅利用歴14年の僕は思う。あるときは強行に人々の流れに逆らい、またあるときは流されるまま流されてみる・・・。小島信夫の文学は決して「右側通行にご協力下さい」というタイプのものではないのである。
足下がおぼつかなくなり自宅近くで転倒して頭が血だらけになった作者が、助けに来た娘さんに抱きかかえられながら唐突に“小島信夫文学賞の審査員に「大庭さん」や「保坂さん」を推挙する”と話す場面が第一章にある。頭部を強打したことが原因のうわごとなのかと思いきや、小島信夫は“娘には私が何をいっているのか全く分からないということは知っていながら”発言しているのだ。ある種の深刻さの中に突如として挿入される滑稽さ。その構図は、風呂で倒れて意識不明になった平山草太郎が倒れながらも絵筆を中空に走らせていたという「美濃」の一場面を想起させる。
第二章は、保坂和志氏とのトークイベントをきっかけとした過去作品の「読み直し」作業が中心となる。その中でも大きくページは割かれていなかったが、短篇「天南星」についての作者の発言が印象に残った。「この小説は気に入る方にぜんぜん入っていなかった。ところが、読んでいるうちにこれはたいへん魅力的な作品であるような気がして、どうして今そういう気がしてきたのか、考えてもよく分らない」。そこで僕は講談社文芸文庫「小島信夫後期作品集」を久しぶりに本棚から抜き取り、後ろの方に収録されている「天南星」を読み返してみたが、これはズバリ面白い小説であった。ちなみに「小島信夫後期作品集」は“自選”短篇集である。
第三章もしばらくは「読み直し」が続くが、程なく訪れるラストシーンで、「仏像のように何もかも動かな」い愛子さんを前に作者は落涙する。小島作品には主人公が泣く場面はそれほど多くないように思う。決して主人公が無感情というわけではないが、どこか主人公が自分自身を客体化しているような視線が常にあり、作者は安易に涙を流させることをしないのである。だからこそ、「残光」や「うるわしき日々」で見られる涙はあまりにも哀切で、重い。
あとがきでは「ぼくは出版社からまとまった長さの作品を約束させられた。ぼくは今を乗りきるために約束の小説をはじめるよりほかになかった。もはや妻には直接、手をさしのべることはないのだから」と述べる。長い作家生活の末に到達した境地、また小島信夫という難問に対する作者からの回答が、このセンテンスに集約されているのではないだろうか。
蛇足だが、文庫版解説はY・Tこと山崎勉氏が担当された。僕の予想は大ハズレであった。